新興宗教をやっている人は、それがよいと思っているからやっているのだろう。糸に5円玉を下げて、「ほら、だんだん左右に動いてくる」とやれば、だれしもが簡単に催眠にかかる。人間の心(精神)は、周囲の状況や得られた情報によって、簡単にどうにでも変わる。そして、人によっては何かを信じ込む力は強烈である(世界中で宗教をやっている人を見ればそうだろう)。人間の脳とは、そのような機能のものである。

 このことを踏まえて、最近よくテレビで報じられているLGBTについて考えてみると、他人や社会に対して本当に迷惑をかけないのであれば、だれがどちらの性別でも個人的にはかまわないと思うのだが、一つ心配な点もある。それは自分が本当にLGBTかどうかは自己申告でよいのかということである。

 客観的な科学的・医学的判断基準がなければ、誰でも勝手にLGBTを名乗れるようになる。そうなれば偽物もたくさん出てきて、次第に社会が混乱していくように感じられる。また、単なる思い込みや流行に乗って自分もそうだと信じ込んでしまった人は、取り返しのつかない人生を送ることになってしまいそうに思うのである。

 海外の多くの先進国では認められていて日本が遅れているから日本も早く制度化を進めないといけないという理由では、私は納得ができない。「いつの時代でも真理は少数から始まる」が座右の銘である私には、人数は関係ない。シンプル、かつ簡単でよいので、科学的判断基準や制度化を進める納得できる理由が欲しい(全体的な整合性が必要)。それが本当のLGBTの人々のためにもなると思う。