マスクの着用は、個人の判断に任せることになった。
今日、近くの大型スーパーに買い物に行った時、どれほどの人がマスクをつけていないのか店内を歩きながら見てみた。店内には200人位の人がいて、マスクをつけていない人は2人だった。そのうちの1人は、総菜売り場の前に立ち大きな声でスマホで会話をしながら選んでいた。どれほどの飛沫が総菜にかかっていただろうか。
もう1人は夫婦で並んで店内を歩いていた男性で、これまた遠くまで聞こえるような大きな声で話していた。ちなみに日本語だった。すぐ隣のマスクをした女性の声は、こちらまでは全く聞こえてこなかった。
マスクの着用の判断を個人に任せるということは、はずしても安全な人がマスクを外すのではなく、マスクを外すと危険な人が外す状況を生むのだろう。自己中はどこまで行っても自己中だ。
政府が何と言おうと、コロナウイルスの新規感染者や死亡者は毎日いる。重症化しやすいお年寄りも日本にはたくさんいる。最低限のルールやマナーは必要だ。「今後は個人の判断に任せる」という文言があまりいいものではなかったと思う。これでは、「今後は完全フリーだ」と都合のいいように解釈する人も出てしまう。我慢をしていた自己中たちは、これを免罪符として周囲のことなど考えずに何でもやってのけてしまう。「今後は周囲に配慮した行動を自分で決めること」とすれば、少しは歯止めになったのではないだろうか。