ある国立大教員募集について、「男女雇用機会均等の推進を図り,本センターにおける女性教員比率の向上を図るため,女性に限定して公募します。」とあった。ここ数年、堂々と「女性限定」と明記する国立大の教員募集を目にすることが増えた。こんな男女差別が許されてよいのだろうか。研究機関において、男女比の比率など関係ないであろう。能力や実績のある者が、国や人類のために研究したほうがよいに決まっている。このような傾向(「女性を〇割合格にする」や「女性を積極的に採用」など)は、公務員試験や国家試験などでも目にすることがある。
これまで公式な採用基準に、「男性に限る」などといった女性差別があったのであれば回復のための措置なのだろうと理解もできるが、実際は国立大学の教員採用でも公務員試験でも実力主義であったはずだ。ただ女性受験者の母数が圧倒的に少ないために、合格者や採用者も少なくなってしまっただけであろう。最近は増えてきたが、数十年前までは難しい大学を受験したり医学部を受験したり弁護士を目指したり官僚や政治家を目指したりする女性は、かなり少なかった。博士課程を修了して大学教授に進む女性などあまりいなかった。女性たちは上を目指さず、女性だから男性の下で働く、女性はお茶くみや家庭で頑張るといった意識が一般的だったのかもしれない。誰が悪いというのではなく、そういう時代であった。これまで国立大教員採用でも国立大学入試でも国家試験でも公務員試験でも、合否や採用基準において男女による垣根、差別は、見たことも聞いたこともない。公正・公平な実力主義であり、実力のあるものがその国立大学に進み、その職に就くことが可能だった。
それなのに、いまになって実力で採用を決めるのではなく、「女性だから」という理由で無理やり合格や採用をすれば、大学や資格、職場のレベルを落とすことになるだろうし、そもそも男女差別で許されないことである。国立大学が、教員募集の際に「これまでの実績で採用します」、「能力のある者を採用します」ではなく、「女性を採用します」と公に言いきってしまうことが信じられない。こんな論理で論文を書いているのか。