衆院千葉5区の補欠選挙が告示された。立候補者は、立派なことを力強く市民に訴えていた。

 どの候補も、訴えることは市民が皆願っているような素晴らしい建前(当たり前のこと)に決まっている。悪いことやどうでもいいことをやると主張したら投票してもらえないのだから、当たり前のことだ。だから投票する際は、立候補者の主張内容で決めるのではなく、市民が願っていること、自分が主張したことを、実際にできる人かどうかで決めるのが適切であろう。言うだけ言って、後は何もできなかったでは税金泥棒の詐欺師であろう。

 主張などどうでもよいから(どうせみんな立派なことを言うだけなのだから)、その人物の志や真剣さ、正義感、交渉力、リーダー性等、本当に実現可能な人なのかどうかを見極めることが重要であろう。結論を言えば、これらの能力が仮にあったとしても、政党政治や派閥政治という非民主的な仕組みになっている以上、無意味なことなのだが・・・。

 壮大な茶番劇のような政治の仕組み、うそと詭弁、責任逃ればかりの政治家が生まれてしまう仕組みを根本から変えられるのは、今の社会においては本物の研究者しかいないのだろう。論文などで新たな政治の仕組みを提唱し、日本での政治がきれいで誠実で真の民主主義となり、それを見た世界各国にも新たな政治の仕組みが徐々に広がり、数百年後には今から見ると夢のような素晴らしい地球になることを期待したい。そこに至るまでには、AI化の悲劇と核戦争という2つの大きな衝撃に人間が絶える必要があるような気もする。新たな政治のスタートは、世界がいったんゼロに戻ってからの話なのかもしれない。