50代→鼻マスク
60代→あごマスク
70代→ノーマスク
近所のスーパーに行くと、このような傾向がある。なぜ、直接自分の息を空間に出せるようにマスクから鼻を出したりあごにつけたりしているのだろうか。
他にも、建物内において後ろで大きな声で世間話をしているので振り返ってみるとノーマスクであったり、「わざとなのか?」と思えるほど大きな音を出してくしゃみや咳をする人を見るとあごマスクであったりノーマスクであったりすることも、けっこうある。ここまでくると、単なる情報不足だけではなく、嫌がらせをして喜んでいる愉快犯にさえ感じられる。
今年の卒業式や入学式では、ノーマスクでの参加も可とすることを週内にも政府が発表する見込みであるというが、これまで式典でマスク着用としていたのは誰のためだったのだろうか。人に感染させないためだったのか、それとも自分が感染しないようにということだったのか。式典に参加するような人はほとんどが感染していない人で、つまりこれから感染したくないという人たちであろう。仮にノーマスクの無症状者が自分の横や後ろの席に2時間近く座って呼吸をされ、時々歌や呼びかけをされたとしたら、たとえ自分はマスクをしていても感染の危険は大きい。
すでに7万人以上の人が、他人からウイルスをうつされたことが原因で亡くなっている。東日本大震災やトルコでの大地震、ウクライナへのミサイル攻撃で亡くなった数の比ではない。下火になっている現在でさえ 1日で200人以上は亡くなっている。安全なワクチンや効果的な治療薬がない現在、集団内に、あるいは広く社会にウイルスを蔓延させないために、マスク着用は必要である。他人の健康や命を守ることは集団や社会の中に身を置く人にとっては最低限のマナーであり義務であろう。自分は息が苦しいからつけたくないとか、面倒だからつけたくない、つけなくても大丈夫だなどという理由は、言い換えれば、集団の中で俺は自分勝手にしたいんだという理由である。これは日本人が最も嫌いな理由であり、長年大事に守ってきた「他人に迷惑をかけない」、「思いやりを大切にする」、「社会の秩序を守る」という信念とは正反対の理由だ。なぜこれほど身勝手な理由で行動する人が増えてしまったのだろうか。経済優先による政府のプロパガンダによるものなのかもしれない。日本人の良さ(民度)や長年受け継がれてきたすばらしい慣習、伝統などを、政治家の愚かな判断で破壊されないように、国民レベルで個々に守っていくことが重要ではないだろうか。