最近、ジェンダーを主張する人や信教の自由を主張する人(新興宗教をやっている人)がテレビに出て話しているのを見る機会が増えてきた。
この両者の話しぶりを見ると、すべてが断定的な口ぶりで興奮気味に訴えており、私には同じ種類の人に見えてくる。似たような話しぶりは、情報番組によく出ている炎上商法の「なんちゃって文化人コメンテーター」たちにもよく見られる。
陳腐で幼稚な方法によって、信じやすい国民をだますのはやめてもらいたい。馬鹿にしすぎである。適切な論理、正確性、客観性、バランス(総合性)、妥当性や蓋然性などをよく考えながら、普通の声の大きさで、普通のスピードで意見を述べればよい。さらに言えば、この方法では自分の考え(話の内容)を相手に肯定してもらえないだろうと心のどこかで認識しているから、声を高め早口で話して相手を説得しようとしているのだと思う。正当性や適切性に関係なく、とにかく自分の意見を通したいのだろう。
最近、政治家もマスコミも、そして国民も、自分が話す言葉や内容に「恥」を感じなくなってきているのではないだろうか。日本人はこれまで「恥」を大事にしてきたから、おかしな言動を堂々と行うことができなかった。しかし、ここ10年くらいの間に政治家たちが、責任逃れや言い訳、責任転嫁、嘘など何でも「堂々と話したもの勝ち」の姿を国民にこれでもかと見せ続けてきたために、日本社会にこれが浸透してしまい、情報番組の司会者やコメンテーター、芸能人、国民が「恥」を忘れた言動(不誠実で偏った非論理的な言動)をするようになったように思われるのである。決して能力の低下などではないような気がする。