菅元総理の肝いりでできる「デジタル庁」と「こども家庭庁」って、本当に必要なのだろうか。

 コロナや選挙の時期に、あの菅氏が根回しして作ろうとした組織ということも不安が生じる。必要性について、専門の学者に議論してもらったのだろうか。党内や国会で議論したのだろうか。国民の意見を聞いたのだろうか。「枠組みを作ったから、中身を入れて!」では、本末転倒となる。

 安倍元総理が個人の信念で始めた教員免許更新講習も最近なくなった。貴重な夏季休暇の時期に教員個人の支出で多くの時間を費やして大学教員のくだらない趣味の話を聞いたり意味のない博物館見学をしたりすることを義務付け、県や市町村の行う実践的な研修に参加できなくなり、年休消化を不可能にしさらに教員にストレスを与え続けた最悪の講習制度であった。この10年あまりの被害は取り返しがつかない。莫大なお金と労力を使ってもプラスになることがなく、むしろ大きなマイナスだけを残すようなことがあってはいけない。たった1人の人間によって、弱い者が無意味に犠牲になるような社会を作ってはいけない。日本は北朝鮮のような独裁国家ではないはずだ(建前上は)。

 日本では、一人の総理大臣の思い込み(自分の株を上げるための方法)が、取り返しのつかない大きな被害(税金と労力、さらにそこに絡んでくる利権)を生むことがよくある。二千円札やオリンピック招致、給食マスクの全国民配布、安倍氏の国葬(安倍氏の親友に脅されたかもしれないが最終判断をしたのは岸田総理だった)もそうだ。日本は、歴代総理大臣を見ると、能力で選ばれるのではなく派閥の力学で選ばれる国であるため、「総理大臣の言動に対して現実的にブレーキをかけられるしくみ」を作っておかないと、とりかえしのつかないような大きな無駄が定期的に発生してしまう。そのうち日本がゲームオーバーとなるような事態も引き起こしかねない。そうなる前に「しくみ作り」を求めたい。