日本の首相は、悪い政治家をかばう時に「説明責任をしっかりと果してもらいたい」という。それによって、政治家を辞めたり役職を辞任したりする必要はなくなり、無罪放免ということにするということである。
しかし、これまでの数多の政治家による悪事に対する説明責任を聞いてくると、自分に都合の悪いことを隠したり、秘書や事務所など他人に責任を押し付けたり、知らなかった、忘れていた、単なる事務的なミスだった(だからしかたがないことだ、私は悪くない)と言ったりしながら、自らを正当化する「汚い場」にしかならない。
言い訳や責任逃れ、うそやごまかしを丁寧に繰り返し述べることは、身の潔白を証明することにも責任を果たすことにならない。政治家による「説明責任を果たす」という行為は、さらに自らを悪人に見せる儀式となっている。それなのに、マスコミや専門家は黙って見過ごして結果的に許すことが結構ある。黙っていることは認めることである。歴代総理は言葉のあやを利用して、「言い訳や責任逃れができればおとがめなし」という妄想を日本社会に作り上げようとし、「説明責任」というおかしな文言を繰り返すことでそれを現実のものにしてきた。総理大臣がよく言う「説明責任を果たす責任がある」というのは意味がなく不適切であることを断言したい。うそや言い逃れ、責任逃れの場である「説明責任」によって部下たちの悪事をなかったことにしようとする総理の幼稚でずるいやり方を認めてはいけないと思う。
首相や官房長官など責任のあるものは、今後「政治家には説明責任を果たす責任がある」とか、「説明責任をしっかりと果たす必要がある」などと口にしないでもらいたい。そんな責任も必要もない。悪人にごまかしや責任逃れ、とぼけの場を与えて身を守ってやることは許されない。その政治家が実際に行った不適切な事実だけを見て処分すればよいだけの話である。
さらにいうなら「政治家の出処進退は自らが判断すること」という文言も禁句にしてもらいたい。責任逃ればかりする悪人が自分の処分をするわけがないだろう。政府は、寝ぼけたことばかり口にする。非現実的で馬鹿げた文言だ。「嘘でも百回言えば真実となる」といわれるが、「説明責任(を果たせば悪くなかったことになる)」や「出処進退は自らが判断」という言葉も、そろそろ百回になるのではないだろうか。恐ろしい戦略である。公的な影響力のある専門家、評論家、研究者たちは、もう少し頑張ってくれないだろうか。
「国民が納得するように説明する必要がある」とも総理は言うが、それを聞くと「国民が納得するように詭弁や責任の押し付けによって国民を言いくるめることが大事だ」としか私には聞こえない。国民の納得などどうでもいい。問題は、政治家が行った「事実」である。
総理が発した言葉の一つ一つに難癖をつけるようだが、一つ一つが「え~」と驚くようなことばかりなので仕方がない。一般国民であれば、思ったとしても口にできないようなことばかり、政府の面々は堂々と平気で口にできてしまうのである。
みっともない「説明責任」など免罪符にならない。泥棒や企業内の帳簿の不正、公務員の違法行為など、すべては事実によって処分される。「今後、行わないように気をつける」「盗んだものはすでに返した」「本日、書類を訂正した」「仕事を続けることで責任を果たす」といって許されるのは、国民の代表である政治家だけだ。おかしなことであり、これを政治家にやめさせなければいけない。黙っていると、政治家は調子に乗っていつまでも繰り返し、改善されることはないと思う。私は的外れのようなことを言っているだろうか。