安倍氏の国葬では菅元首相が弔辞を読んだ(述べた)が、それについて「よかった」とか「涙が出た」などと肯定的な感想がネット上には多く流れている。
弔辞では当然良い思い出を述べるものである。平凡な思い出を淡々と述べたりはしない。私は、それが普通であると思っていた。ごくわずかな批判もあるが、それに対しては一斉攻撃がなされている。
日本人は、本当にいい人なんだなあと思った。それはとても良いことだと思う。現象を見て、目には見えていないその原因や意図まで善意に解釈してあげる。このような人ばかりの国の社会は平和に決まっている。善意であふれているのだから。
しかし注意も必要である。悪い人に騙されやすいということである。世の中には、嘘を言いながら陰で悪さをして他人の生活を害したりお金を取ったりするような悪い人もたくさんいる。本当にいい人たちには、他国や政治家などにだまされて国益や自分の生活、財産(税金も含め)などで不利益を被ることがないように願わずにはいられない。
政治やテレビの中のことなど遠くで起きていることを間接的に見ている側としては、すべての正確かつ客観的な事実の情報を得ることは不可能なので、正しい判断(合理的・客観的で適切な判断)をするということは非常に困難である。そこで、自分が見聞きした一つの現象や主張をストレートに信じるのではなく、可能性として、それとは反対の見方や主張、あるいはその間の見方や主張が適切なのかもしれないといった「あいまいな仮判断」をすることがとても重要だと思う。
偏った異なる情報をそれぞれが鵜呑みにして、「Aだ」「いやBだ」と口げんかしたところで、事実や正しい判断に至るわけでもあるまい。もちろんこのブログの主張も、最も適切で正しいとは思わないでもらいたい。短絡的に結論を出さずに「あいまいな仮判断」をしてもらうための1つの材料として、おそらく多くの人が思っていることとは異なると思われる見方や考え方をあえて紹介しているブログに過ぎない。
仮判断を持ったまま少しずつ多角的な情報を集め、様々な現象や主張を批判的に見て、徐々に正しい判断に近づいていければよいと思っている。