批評家の藤崎剛人氏はニューズウィーク日本版にコラムを投稿し、安倍氏の国葬について「安倍元首相は国葬が行われたことをもって、「国葬が行われるに値する」首相であったことが既成事実化される。旧統一協会問題や桜を見る会問題など、安倍元首相は死してもなお追及されるべき不正疑惑に事欠かない。そのような検証を、国葬という権威により有耶無耶にしようとすることもできるかもしれない。安倍首相に近かった党内右派を中心に、そのような神格化の動きは必ず出てくるだろう」「数年後には「安倍元首相の国葬はごく一部の反対派が騒いだが多くの国民は支持しており厳粛に執り行われ国際的にも評価されその偉大な功績が称えられた」という都合のよい歴史修正がなされてしまう可能性がある」と論評している。

 これまでの政治家たちのやり方を見ていると、私もこのコラムの通りになるのだろうなあと思う。

 G7の現役首脳は誰も来ず、いま日本の首相は各国のナンバー3,4などとの弔問外交で大忙しである。具体的な進展は何もなく、これまでの決まりごとの確認を形式的にやるだけであろう。本当にそれが世界に対する日本のイメージ上、プラスになるのだろうか。国葬を強行した安倍氏の親友議員達やチルドレンたちによる安倍氏に対する評価は誇大妄想で虚像であることを、専門家や多くの国民は見抜いている。バレているこのような状況で国葬を強行することは、安倍氏本人にとっても恥ずかしくみじめなことだと思う。そもそも安倍氏本人は、「死してもなお安倍晋三」という姿を本当に望んでいるのだろうか。もうハッタリはやめて、普通の誠実な人に戻りたいと思っていると私は思う(願う)。

 様々な思惑の中で、いよいよ今日の午後、安倍氏の国葬が実行される。