昨日の夜、矢沢永吉氏が福岡市内でコンサートを強行した。勢力の強い台風がやってきている中、朝のうちに開催を決定し、その旨の連絡がLINEであった。午後7時ごろコンサートが終わり、風雨が強いなか雨がっぱを着たファン数百人が雨にぬれながら帰った。中には土砂降りの中、タクシーを2時間待ってホテルに戻った人もいたという。それは当然予想されたことで、ファンたちにそれをやらせることになるコンサート開催は適切であったのだろうか。

 主催者側は開催を決めた理由について、「福岡ドームは屋根があり、頑丈に作られた会場であること。雨風が中に入ってこないこと。そして何より『矢沢さん!中止しないでください!』『開催して下さい!』というお声が ものすごい数のメールが届いております。(中略)コンサートを決行することに決めました」ということだ。

 前半の屋根云々は、風雨の中の帰宅とは関係のないおかしな言い訳なので別にして、問題は後半部分の「中止にしないでください」というメールが多いから決行を決めたというところである。このような構造の理由、論理展開は、日常時々見たり聞いたりするものである。特に小学生などは、その時の自分の感情を優先させて、危険なことや不平等なことでも「やりたい、やりたい」と騒ぐものだ。果たして、本人たちが望むのであれば、危険や苦痛を与えることになってもよいといえるのだろうか。ファンは、矢沢氏のことが大好きだから、客観的、総合的な判断ができない(というか、しないだろう)。だから、それが可能で責任のある者たちが適切な判断をしなければいけない。極端なことを言えば、では他人が「自分を殺してくれー」と言ったら、あなたは殺すのかという話になる。

「本人が言ったから」ということを理由に、危険であったり悪いことであったり不平等であったりする判断を行うことに、私は納得がいかない。これも判断力の一部であろう。

 ちなみに同日、小田和正氏も福岡市内でコンサートがあったが、大型台風が接近していて危ないからという理由で中止となった。私は個人的に、ロックをやっている人はぞんざいで自己中心的(そうやることがかっこいいと思って意図的にやっているのかもしれないが)、フォークをやっている人は誠実で人に優しいというイメージを持っていたが(全員ではなく傾向として)、いみじくも私のイメージ通りの結果となった。