ミスユニバースの代表者を見ると、背が高く、やせていて(スマート)、目は二重で・・・などいくつもの共通点がある。
「これがミスユニバースだ」、「美人の基準だ」と世界中の人々に刷り込む。言い換えれば、それら共通点から外れる人は、美しくはないと世界中に定着させる。そうして、からかいやいじめ、差別、争いなどが生まれていく。
「嘘でも百回言えば真実となる」。実際は真実とはならないだろうが、不適切であったり非論理的な話であったり、あるいは作り話や嘘であっても、百回言い続ければ人々はそれが適切で事実であるかのような錯覚におちいっていくということなのだろう。日本でいえば、政治家たちの常とう手段でもある(答弁や会見において、都合の悪い時には何を聞かれても同じ文言を延々と繰り返すだけで、まさに「壊れたテープレコーダー」である)。
勝手に基準を決めたりうそを言ったりしながら刷り込んでいく作業というのは、侵略しているロシアや様々な大会で見られるが、世の中がおかしくはならないだろうか。正義も真実も整合性もバランスも、何もかもが感覚的で一時的で自分勝手なぶつかり合いにならないだろうか。それが時々行き過ぎるから、時々戦争も起きてきたし、今後も起きるのだろう。喧嘩もいじめも差別もしかりである。
整理が欲しい。いったいどうしたいのか。別に世界中の国の人々がみな同じくしろ!ということではない。違うのであれば、それを事実として認めたうえでの位置づけ、整理があり、そこからその先があるのだろう。一貫性がなく、やっていることがめちゃくちゃ、バラバラでは、どういう社会や世界を目指したいのかわからない。