ひろゆき氏や古市氏、堀江氏などが、ウクライナに千羽鶴を送るなら金や食料などを送った方がよいという論理を強烈な言葉を持って展開している。
千羽鶴を送る、送らないの話は別にして、ひろゆき氏や古市氏達の思い込み(誤った決めつけ)、詭弁や攻撃性だけを指摘すると、①千羽鶴を送るというのは金や食料の代わりではないということ(鶴を折っていた人達も個人で募金をしているので、千羽鶴は募金もしたうえでの話)、②自分が良いことをしているという自己満だというが千羽鶴を折るような人達は自己満ではなくウクライナの現状を悲しみ平和を祈りながら鶴を折った可能性が否定できないということ、③千羽鶴を折って送ろうとする人達の行動は狂気と言ったのは世間の注目を集めるためと言い訳のようにうそぶくが、そのような詭弁が許されるとすれば喧嘩腰で非難しあうようなことがすべて正当化され社会や世界は今以上にぶつかり合いや喧嘩、戦争に満ちたものになる、などがある。
上の3点は、言うだけ言って後は現実がどうなったとしても、その後も延々と詭弁を言い続けていれば逃げられると思っている無責任なこの3人だからこそ起きてしまう必然的な問題点であると思うのは私だけであろうか。