最近の橋下弁護士を見ていると、あごが上がり目がすわっていることが多くなった。相手や世間が自分の考えを認めるまで、日が変わっても何度でもこだわり続ける粘着性も顕著になっている。彼が突然変わったわけではなく、新型コロナウイルスの話題の頃から徐々に固執した一面的な意見が目立ち始め、ロシアの侵略でピークに達しているように私には見える。大きな問題に直面すると、高揚してしまうのだろうか。
自分の思いを絶対に曲げず、相手が自分の意見を認めるまで、詭弁や論点外し、言葉尻をとらえての攻撃、根拠の要求(例えば「何時何分に言った?」「どこの何ページに書いてある?」という子どものような手法)、大声や威圧的な話方など、あらゆる悲しい方法を持ちいて相手を攻め続ける。自分の経験や基準に沿わないような相手の立場や考えを否定し、建設的な議論を避けては言い争い(口げんか)に相手を引き込み自分の思ったことや価値基準を押し付けるために攻撃し続ける。これは議論ではない。私には、彼がある国の大統領と重なって見えるのである。
弁護士の仕事(弁護士に必要な能力)が、彼を見ていてよくわかった。個人的には、市長をやめた後、彼にはコメンテーター(評論家?)ではなく、バラエティに進んでもらいたかった。