両者がテレビに出演し(別々に)、日本における核シェアリング(核の共有)について議論をすることは必要であることをテレビで語った。議論をすることは大切だと、立派なことを言っているようだ。しかし二人の結論は出ている。だからそれに向かって議論を始めたいということだ。

 おちついてよく考えれば二人の詭弁の構造に気づくことができる。これから日本は核を持つか持たないか共有するかをはじめて決める場合であれば議論は必要となる。しかし現在日本には非核三原則があり、それを継続するのであれば議論をする必要はない。それを続けるだけなのだから。非核三原則がすでに存在する状態から話し合いをしたいという場合、その内容は必然的に非核三原則の必要性、つまり変更に向けての話し合いとなる。

 出発点の状況によって、議論の意味が異なってくるのである。