「多様性」
定義や使い方の共通認識がないと、思ったようにやりたいように行動する人や自分なりの理由をつけて努力を放棄し逃げ回りながら自由に生活をする人が増え、多くの人が嫌な思いをしたり迷惑を被ったり社会が衰退していったりする可能性がある。社会の潤滑油であった「マナー(相手を思いやる気持ち)」もなくなってしまう。
わかりやすい極端な例を挙げると、高級レストランで食事を楽しんでいるところに、「俺のお気に入りのファッションだ!」といってボロボロの服を着たサンダル履きの人が入ってきたらどうだろう。それも認めないといけないのだろうか。多くの人々が一緒に生活する社会において重要なことは、思いやりと妥協とバランスである。大変かもしれないが、結局はそれを守ることが日本のように一番楽で心地よい社会につながる。
様々な人種の人々がお互いに認めあうといったレベルでの多様性ならわかるが、自分勝手な言動をする人がそれを正当化するために「多様性」という言葉を使いだしている。早めの対策が必要だ。