紅白歌合戦で、茶髪ストレートロン毛で口紅をつけ黒いマントを着た氷川きよし氏が、美空ひばり氏の曲を歌っていた。そのような格好で自分の大切な曲を紅白で歌われた美空ひばり氏がみたらどう感じるだろうか。私の目には、彼の表情や歌い方、歌詞などから氷川氏が新興宗教に信者のように何かにとりつかれているように見えた。大坂なおみ氏や小室眞子氏の口調や表情、行動と重なってみえた。この3人は自分のやり方について何か指摘されたり反対されたりすると激高し攻撃的になる点も似ている。ジェンダー推進派や反捕鯨国代表団の人々が誰かと議論する時にもよく見られるものだ。
私は、「多様性」という言葉が「無条件の自由」(=「自分勝手」、「自己中心的」)という意味を持つのであれば、「多様性」には反対である。この言葉は、言論の自由や表現の自由、個性尊重、人権尊重、自己実現などと言った怪しげな言葉同様、社会秩序を乱し、衝突や喧嘩、犯罪を助長させ、助け合いや平和といったところから人類を遠ざけてしまう可能性が十分にある。
ホストのような髪形にレイザーラモンHGのような衣裳を着て(一昨年)女性のような化粧をしている人が歌う姿を大晦日に多くの国民が見たいだろうか。大坂なおみ氏の言動は、どれほど多くの大会関係者や日本国民を悲しい思いにさせているだろうか。数百年続いたものが、ここ4、5年で流行となったわがままを許す言葉にやられてしまってもいいのだろうか。後を継ぐ大切さも考えなければ、伝統・文化などが日本から無くなっていく。歴史ある小さな老舗や工芸技術もすたれていく。極論を言えば、皇室の方々が全員「や~めた」となれば、天皇家も今すぐ終わる。神や神社をどうするのか。そんなことが可能となる流行やシステムを認めてはいけないと思う。
「言葉が人間を作る」といわれる。どうしても「多様性」という言葉を正当化し使いたいのであれば、国連や文科省などによる具体的で厳密な定義が必要である。