昨日は終戦記念日だった。戦争は、敗戦国が悪いことになる。

 私は、認められないことが2つある。1つは、日本が攻撃対象としたのはハワイの軍港や攻めてくる軍隊だったが、アメリカは多くの一般市民を無差別に殺害するという日本全国への空襲や2か所の原爆投下だったこと、もう1つは東京裁判の判事の構成メンバーはアメリカ側が中心で(中立国からの判事も外交圧力でアメリカ側に立った)、到底公正な裁判とは程遠いものだったことである。あんな茶番劇の裁判をやるくらいなら、やらないで堂々としていた方が姑息でなく信頼できる。

 原爆投下の理由をアメリカ側はいろいろと主張するだろう。しかし、どんな理由があろうと、その理由が本当か嘘かにかかわりなく、やってだめなものはだめなのである。普通に暮らしていたお年寄りや女性、子ども、赤ちゃんなども攻撃対象とし、数十年に及ぶ後遺症をもたらすような「街への原爆投下」は、決して許されるものではない。

 戦争の本当の総括はできていないし、またできるものでもないのだろう。仲良くやっていくふりをするためには、どちらかが折れてまちがっていても認めるか、敵対し続けるかのどちらかしかないのかもしれない。人間とはかくも愚かなものなのか。真の友好はなく、敵対心のぶつかり合いである。人類の誕生以来700万年かけた脳の進化の結果がこれなのかと愕然とする。しかし、もしかしたら自分勝手とは自己や種を守る本能の表れで、今の人間の脳が生物学的、医学的には最も発達した完成形であるのかもしれない。