現在、中等症になっても入院する病院がない。生きられるか死ぬかは運しだいのところがある(たまたまベッドが空いたなど)。
昨日の記者会見で、菅総理は酸素ステーションや抗体カクテル療法を集中的に行える拠点を近く整備する考えを示した。医療崩壊し日々重症患者が増えているという最悪の状態まで待ってから、ようやく対応を取り始める。今の状態になる前に、対応を始めることは彼は不可能なのだろうか。
菅氏は、「仮定のことはお答えしない(考えていない)」、「もう少し様子を見てみたい」という信念を崩していない。彼の周囲にもそれを指摘する人がいないため、彼はいつまでも繰り返す。現状を自分の目で見てからようやく場当たり的に動く。だからすべてが後手後手になって手遅れになったり、時間がないところで急いで対策を考え実行するために的外れな対応になったりし、その無能さによって国民が犠牲になってきた。
菅総理が辞任するまで、このループは繰り返される。菅氏が総理を辞任するのが早いか、多くの国民の命が奪われるのが早いか、勝負になっている。彼の地元の秋田県民は、どんな気持ちでいるのだろうか。秋田県民を代表している彼は、「秋田県民の能力や考えはこうだ!」と日々日本中に宣伝しているようなものである。私が秋田県民だったら、恥ずかしくて悔しくて、他県の人と話もしにくくなるかもしれない。
菅氏は、「ワクチン、ワクチン」と繰り返すが、そのワクチンを2回打った人でも感染したり亡くなったりしているという報告が日々世界中でなされている(ファイザー2回接種で感染率が5割を超えている報告も海外ではある)。ワクチンがほとんど効かず最強(今の時点では最強)のラムダ株も日本で見つかった。ワクチンで感染者が減らなくなった時、菅総理は唯一のよりどころを失って総理を辞任し、いなくなる。そこからが、新型コロナウイルスとの本当の闘いのスタートとなるだろう。
どんな理由があろうと、日本を今のような状況にしたのは菅総理大臣の判断である。「国民の命」ではなく他のこと、他の理由を最優先にしてきた。今の医療崩壊を解消し、感染者数を0に近づけることは、物理的に不可能なことではない。例えば、1カ月間全国をロックダウンし、新規感染者が0に近づくまで軽々に宣言を解除せず、守らない人がいたら法的に処罰し、入国審査を本当に厳格におこなえばよい。今何を優先させるか、政治家として、人として、賢明な判断が求められる(「コロナで死ななくても経済で死ぬ」という主張は嘘であることは以前ブログで説明済。実際、これまでも自粛経済で死んだ人はほぼ0人であろう)。
菅総理は気づいていないし永遠に腑に落ちることもないと思うが、彼の口癖である「国民の命を最優先に」という言葉は建前であってはいけないのである。