熱海市で土石流が発生し、警察や消防、自衛隊など多くの人達が泥だらけになって連日捜索活動を続けている姿がニュースなどで報じられている。

 現場の大変な様子の状況を見るたびに思うのだが、どうしてあれほど救出作業をしている人がたくさんいるのに、女性はいないのだろうか。

 救出作業の映像を見て、女性たちはいつものように「女性差別だ」「女性も〇割強制的に参加させるべきだ」となぜ主張しないのだろうか。

 ごみ収集車の人やバキュームカーなどの運転手さんにも女性はいない。

 やはり、男性に合った仕事もあれば女性に合う仕事もあるだろう。力仕事や汚い仕事は男性だろう。女性が、「女性差別だ」と訴える場面とは、医者や政治家、会社の総合職などであろうか。しかし、これらは能力次第で男性でも女性でもなれる仕事である。政治家であっても、もし小池都知事くらいの能力があれば、男性国会議員と対等に渡り合っていける。国会も、女性に対して門戸は閉ざされていない。

 ただし、性差に関係なく、数年で仕事をやめる可能性が高いなど、職場に迷惑をかけるような人は、当然採用したくはないだろう。男性にも当てはまることだ。女性差別ではない。

 そうなると、社会システムの中でほんとうの女性差別というのは、いったいどこにあるのだろうか。私は女性の心の中にあるのだと考えている。「困った時は男性に助けてほしい」、「守ってもらいたい」、「優しくして」、「頼りがいのある男性が好き」、「(仕事に出ずに)家庭をしっかり守りたい」などといった女性の気持ちが、日本における女性差別のすべての始まりだと思う。女性がそのような気持ちだから、国立大学の法学部や医学部への女性の進学率も低いし、それによって官僚や医者になる人数も減る結果につながる。すぐ辞める可能性が高い女性は、医学部でも取りたくない。当然のことである。難しい医学部や法学部への女性の進学者が少ないため、相対的に官僚や医者、総合職を目指す女性は少なくなる。すべての根本は、日本女性自身の意識だと私はとらえている。

 日本から女性差別の意識を無くするためには、まず根本である女性自身による性差意識を無くさなければ、男性側の意識も変わらないし、多くの仕事での男女の比率が同等になっていかないだろう。

 日本の風習や歴史的文化にも、今の価値基準からすると多くの女性差別がある。しかし、女性たちが甘えを捨て、徹底して男女差別を拒否し(逆差別も拒否し)、実力をつけて向上心を男性並みに持てば、風習や歴史的文化の男女差別さえ変わっていくと思う。