テニスの四大大会の主催者が合同で大坂氏についてコメントを発表した。それによると、まとめると彼女の言う通りになるよう改善するというようなものだった。

 この考えを突き詰めていくと、卓球や水泳、サッカーやプロ野球など個別のスポーツ競技から、オリンピックや世界大会のようなイベント的スポーツにおいて、選手による会見やインタビューがすべて無くなるということになる。

 スポーツが衰退していくことはあっても、さらにみんなで楽しんだり発展したり競技人口が増えたりすることは期待できなくなる。テレビでスポーツを見る人も減っていくだろう。スポーツを本当にそのようなものにしていいのだろうか。

 それに、ナダル選手も「会見も仕事の一部だ」と言ってたが、選手が手にする莫大な賞金は、試合を観客に見せて喜ばせたりテレビ放映をしたり会見を受けて大会を盛り上げたりするという選手の仕事を含めての途方もない大金である。誰も見ず、誰も知らないところで、選手たちだけでこっそり試合をしてそれで勝った選手に大金を払うような大会はない。彼女個人にもスポンサーがついているように、大会にもスポンサーがついている。スポーツは、単に個人の戦いではない。もし彼女が本当に個人の能力の競い合いだけをしたいのであれば、賞金無しで近所のグランドでやればよい。ただし、そのグランドには彼女以外の選手は世界からやっては来ないだろうが。

 彼女は自分の二つの希望(大金はほしいが、注目されずインタビューもなく静かに試合だけしたいという気持ち)の狭間でもがいている。大金が支払われている意味を理解し、どちらかを選んだ方がよいだろう。そうしないと、スポーツ全体の発展に影響してくることになる。

 子供の尊重からジェンダーまで、最近は世界的になんでも「個人の自由を認めよう」という風潮である。それによって、彼女のような人もますます増えていくのだろう。100%認めるなということではないが、それが推進されていった場合、最終的に社会はどうなっていくだろうか。盲目的に風潮に流されることは危険であろう。将来を想像しながら、総合的に考えた方がよい。