アメリカの国務省が、日本への渡航警戒レベルを4段階のうちで最も厳しい「渡航中止・退避勧告」に引き上げた。

 菅総理が「私が先頭に立って感染拡大防止にしっかり取り組んでいく」などと思わなければ、今頃は世界で一番安全で平和な国になっていたかもしれない。

 日本人は皆が協力しながら一致団結して国から「言われたこと」をしっかりまもって行動しどんな困難も乗り越える国民だった。今回はその「言われたこと」が状況を悪くすることばかりだったから、世界でも最低レベルの国になっている。

 ワクチン接種率は先進国の中でも最低で、感染拡大地域だった中国(昨年2月)やインド(今年の3月末)からの入国はなかなか止めず、ゆるい自粛内容の緊急事態宣言の延長を繰り返しながら真綿で国民の首を絞め続けてきた。オリンピックも世界から非難を浴びながら強行したら、世界中の笑いものになりそうだ。

 菅氏が総理大臣にならなかったら、なったとしても「私が先頭に立って」などと思わなければ、「すべては私が思った通りに言った通りになるにきまっている」と勘違いしていなければ、日本社会は今とは全く違う状況になっており、オリンピックも菅氏の言うレベルの「安全安心」ではなく、本当に安全で完璧な対策のもとに行うことも可能になっていたと私は思う。

 今も問題だらけの人物達だが、当時二階氏や麻生氏、安倍氏達が菅氏を総理に担ぎ上げなければ、日本人の素晴らしい国民性も破壊されなかっただろうし多くの死者や苦しむ人を出さなかったのではないだろうか。能力の劣る者が悪い結果をもたらした時に、「これからもしっかりと取り組むことで責任を果たす」のではなく、能力のある物に代わってもらわなければ、不幸は何度でもいつまでも続く。能力の問題であるから、だめな者はいつまでたってもだめである。「これからもしっかりと取り組む」と思っても無理なのである。だから、責任を取って辞任する(能力のある者にとって代わる)ということが、政治の世界でも企業や教員の世界でも必要となる。