都心の街は今までと同じように多くの人であふれかえっている。本当に緊急事態宣言が出されているのかと疑わしくなるくらいだ。人々はもう遠慮しない。渋谷にも原宿にも、そして千葉や埼玉、神奈川の観光地にも、これまで通り出かけるだろう。

 理由を考えてみた。大きな要因として、第一に会社員や店員、工員、公務員などすべての職種の人が満員電車に乗って普通に通勤して都心に集まり、会話をしながら仕事をしてウイルスをやり取りした後に再び満員電車に乗って周辺の県へ持ち帰ることを国が認めていること、第二に小学校や中学校、高等学校などに通うすべての子供たちが普通に登校して狭い校舎内で大勢の子供が騒いだりくっついたりして過ごすことを国が認めていること、の二つがあると思う。これほど危険なことを許したら、他のすべての行動も許されるだろう。国民はこの状態を不思議に思い、わけがわからない状態で自由に買い物や旅行、イベントなどに出かけてしまっているのだと思う。

 政府は、対策をしっかりしていれば通勤も学校も大丈夫というだろうが、現実は対策を取らない場面が非常に多く発生するから、はじめから禁止にしなければいけない。岩手県知事は数十人規模の県職員の飲み会がバレた時、百人以上の飲み会でも対策をきちんと取れば問題ないと開き直ったが、現実には次第に大声になったりマスクを取ったまま話したりする人が必ず出て対策をきちんと守ることが不可能な状態になるから、飲み会そのものをはじめから禁止にしなければけないということである。すべてがそうである。オリンピックも、国民と選手や関係者の同線を分けるから大丈夫というが、選手や関係者が政府のお願いを無視して電車で移動しながら東京見物をしたり夜の街に出て大騒ぎしたりしないとどうして言えるのだろうか。比較的ルールを守ったり国の要請を守ったりする国民性の日本人でさえ今では守らなくなってきているのに、外国の人が日本人以上に守るというのだろうか。そのように想像する政府の想像力は限度を越えている。オリンピックが始まったら、なんでもありの混とんとした1か月間になるだろう。そして最後に菅氏が現れ、「対策はしっかり行った。大変申し訳なく思います」と言って済ますつもりなのだろう。確信犯ならまだ許せるが、彼は本当に自分が言ったら(大会期間中の行動の具体的なきまりを)外国の選手や関係者やマスコミたちはその通りに行動すると思っているのだろう。官房長官時代に強権と威圧でそれが実際に通用してきたから、彼はその思い込みを捨てることはできないはずだ。

 政府も自治体の長も、屁理屈ではなく現実を想像して対策や対応を取れない人は市民のリーダーになってはいけない。どうも一般市民より、そのトップにいる人達の想像力や対応力が劣っているように感じることが多い。確かにトップになる時には、教員試験や公務員試験などのような能力試験はない。総理大臣は親の力や派閥の力関係で、議員や知事はいかに立派な建前が言えるかで決まる。冷静に考えれば、これでは先進国の成熟した社会とは言えない。いくら科学が発達しても、やはり日本社会は古き悪しき習慣がまだまだ残る野蛮で未発達な社会なのだと思う。

 今、国民は政府の考えや対応に不信感を持っている。しかし政府の面々は逆行するようにますます傲慢な態度で詭弁ばかりを話す。説明を聞いても、まずかった対応を行った理由をそのまま話したり、「これからしっかりやっていく」ですべてを終わらせる。政府の行動が良く無かったといっているのに、理由を話されても何もならない。どろぼうにでも「ほしかったから」という理由がある。「これからはしっかりと」と漠然としたいい加減な言葉を言ってもこれからはできるとはならない。その人の能力は決まっているのだから。本当に誠実で能力のある人が政治家の中で育ってほしい。