銀行には、投資について相談を受ける窓口がある。フリーダイヤルで相談に乗るという銀行もある。しかしネット証券と比較すると、銀行のほうが購入時の手数料や信託報酬などが非常に高い。両方の手数料などを知れば、銀行で購入する人はいないだろう。

 今後の投資について銀行に相談に行き、ネット証券の手数料を教えてくれたり、他の銀行やネット証券と比較するとどうかを正直に詳しく説明してくれる銀行はないだろう。都合の悪いことは話さず、これまでずっと経済が成長し今後も成長が期待されるから購入した方がよい、などと不確かなことを説明して何とか自分の銀行から購入させようとする。他の会社を進めるわけがない。つまり営業だ。これを相談といえるのだろうか。購入する側からすると、正確な情報を教えてもらえず、大きな危険を背負い、無駄な手数料を支払うよう説得させられることになる。銀行の説明は詐欺に近い。以前、グローバルソブリンを銀行が売りまくり、多くの被害者を出したことが思い出される。

 また、政治家には説明責任があるといわれる。不適切なことや違法行為をした者が正直に説明すると誰が思うだろうか。説明責任とは私見を入れずに事実を正直にすべて話す責任のことであろうが、善人でない限り加害者がそれをすることはない。政治家にそれを求めて、過去に最初からきちんと正直かつ誠実に説明した人は1人もいない。だから、政治家に説明責任を求めても詭弁大会、嘘演説にしかならない。その後、説明を果たしたと本人が言って終わりとなる。ばかげている。加害者の説明など意味がない。医療ミスをした医師の説明なども同じだ。

「説明します」、「説明をお願いします」、「説明が必要だ」、「説明責任がある」など、説明説明と世間はうるさい。この「説明」というものは、いつでも重要なものではなく、売りたい側、説得する側、加害者側にとってのだましのテクニック披露会にすぎない。無条件に「説明」の重要性ばかりを唱えていると、しっぺ返しを食らうだろう。