芸能人の武井壮氏は、繰り返し出される緊急事態宣言について、「ゴールがあるとか見極めができる、限りがあると人って頑張れる」、「スポーツなら、いいって言うまで走ってろと言われているようなもので、そうすると何が起こるかというといつ終わるかわからないからゆっくり走る」と話す。
確かにその通りである。1回目の宣言の時のように、「外出〇割減」と目標を示し、各駅前や観光地など主要な場所の人ごみを携帯位置情報を使って日々「今日は〇割減だった」とテレビ局が評価してくれた。それを聞いて、国民も日々達成できるように努力したはずだ。私はとてもよいと思ったが、毎日テレビに出ているニセ専門家が、そのやり方を推進していた北大の教授に対して「根拠は?」「エビデンスは?」「専門部会の人選が偏っている」など恨み節のような非難を繰り返ししたため、あの人は出てこなくなり、そのやり方もなくなってしまった。あのニセ専門家は取り返しのつかないことをした。たしかそのニセ専門家は、はじめインフルエンザの方が危ないなどと言って、それほど気をつけなくても言いように各テレビ局に出演して世間に嘘を吹聴し感染拡大に努めたという記憶がある。それこそエビデンスがないのにラジオのDJと共にアビガンを信仰して宣伝し続け、政府の対応や国民を混乱させたこともあった。このニセ専門家や菅氏などわずか数名によって国が、世論が動かされここまで社会がおいこまれている。そんなことが通用するシステムでよいのだろうか。
武井氏の話に戻すが、政府は1日の新たな感染者数がもっと0に近づいてから解除したら国民はゴールを切る。しかし政府は必ず中途半端な感染者数(再拡大させるに十分な人数)で宣言を解除する。だから国民はけっしてゴールを切ることはできない。政府の意図や考えはどうあれ、これが政府のやってきた事実である。菅氏と同じく、多くの国民も「この1年で多くを学び知見も得られた」ので、明日からもゆっくり走ることだろう。誰でも無駄なことはやりたくない。
最終責任者(いや、責任は取らないから最終決定者のほうがよいだろうか)は、国民の命よりほかのことを優先させる悪人なのか、それとも能力がないのか、それともどちらでもないのか、その判断は彼自身が胸に手を当てて決定した方がよいだろう。最終決定者のその決定によっては、今後の国のコロナ対応を良い方向に一歩進めてくれるかもしれない。