最高裁判所の判事について、女性の割合を3分の1以上にすることを求めた要望書を、全国の89団体が最高裁に出す。現在の女性の判事は2人で、これまでの最高は3人とのことだ。
能力とは別に、男女の差だけで強制的に一方の性の割合を指定することは、男女差別ではないだろうか。そもそも、なぜこれまで最高裁判事の女性の男性の割合が多かったのだろうか。これは決して「男性だから採用する」という考えの元で採用が行われてきたからではないだろう。法曹に携わるものの母数の男女比が決定的に異なるためではないのだろうか。法学部を選ぶ女性の数、司法試験を受験する女性の数、司法試験に受かる女性の数、司法試験合格後に論文や裁判などで顕著な実績を残しながら長期間働いてきた女性の数は、男性に比べて圧倒的に少ないはずである(その理由は女性達自身の意識にあるのだが)。そうなると、当然最高裁判事を決める時でも、適任者に男性が多くなるのは自然のことであろう。
「女性だから」という理由で進出する機会が奪われているところも全くないとは言わないが、多くの場面では、女性自身がそこから逃げていたり(「女だから家庭をしっかり守る」等の理由で)、ひいては能力や実績などの面から、結果として男性が多く社会に進出している状況になっているのではないだろうか。
盲目的・短絡的に「女性を〇割にしよう」など滑稽な話である。アメリカのように実力主義で行きたいものだ。そして、その実力主義のアメリカにおいて、アメリカの女性が日本の女性よりはるかに多く社会進出している理由として、両国の女性の意識の違いや女性の生活様式の違いがとても大きいだろう。この違いが、結果的に全体としての能力や実績の違いとなり、採用の実態につながっているように思われる。