加藤氏は、記者会見や討論番組で質問を受けた時、回答の多くが相手を煙に巻くような説明で、質問に答えないか責任逃ればかりしている。官房長官とは、政府の対応の遅れや判断ミス、不適切な行動などを守ることが仕事なのだろうか。
昨年の4月頃、政府は体調が悪くても〇日間は自宅で様子を見るようにと話し、それを保健所も国民も守っているうちに重症化して亡くなる芸能人や国民が多数出たことがあった。それについて加藤氏はあとから、「必ず守れということではなかった」と責任逃れをし、国民をずっこけさせたというか愕然とさせたことがあった。「必ず」とは言っていないよ!などと言うのは、小学生の口げんかの時ぐらいであろう。あれで何人の人々が亡くなり、恐怖を感じたことであろう。
秋ごろになると、質問を受けた時に「定義」ということをよく使うようになり、広辞苑を持ちだしてその抽象的な意味を自分の都合のいいように解釈して、だから私たちは悪くないという責任逃れをおこなっていった。
今年に入ってからは、相手の質問や批判を聞いた後、「今の指摘には2つのことが入っています」というのが、彼のマイブームになっているようだ。会見や討論番組でよく耳にする。そして、2つについて法やきまりがどうなっているのかを個々に説明して終わる。質問に答えることは無い。それぞれの法律に基づいてやったことが現状がよくなるような結果になっていたと思うか、自宅待機者の増加などの現状を含めなぜ総合的に判断しないのか、政府の矛盾した説明や行動では要請が国民にわかりにくいのでは?、と聞いているのだが、それに答えることは無い。自分たちの後手後手の落ちだらけの対応について、その対応を取った理由を答えられても、「それなら悪くないね」とならない。泥棒に、「どうしてそんな悪いことをしたんだ」と言った時、「だってほしかったんだもん」と取った理由を言われても、そうした理由を聞いているのではないし、それはよくないんだよ、他にやり方があるんだよ、どうしてもっとよく考えて行動しないの?と改善を促しているのである。そもそも法律とは適応に厳格ではない面もあり、自己の解釈や適応の適切性を主張し合って裁判で争われるくらいだ。いくら法律を持ちだしてどや顔で自分に都合のいいように解釈し説明してみても、責任逃れはできても悪化している現状を彼に変えることはできないだろう。
今年の春ごろからはどうなるのだろうか。「専門家の皆さんが言ったから」と言うフレーズはもはや菅総理に使われているし、予想がつかない。次の新しい論法に注目したい。