「理由があれば正しい(又は適切)」とはならない。泥棒にでも「ほしかったから」といった何らかの理由は必ずある。政治家が、自分の不適切だった行為について詭弁や屁理屈を付け加えても、行為が適切だったことにはならない。

 情報番組のコメンテーターや司会者が、何らかの理由をつけて「私は個人的には〇〇と思う」と話す。その理由に正当性や適切性、公共性や公平性、ある程度の正しい知識、そして客観性などがなければ、当然その理由から導き出された個人の思いは不適切なものとなる。

 政治家が悪事を働いた時に、「説明責任が重要だ」などと言われるが、当の本人は自分なりの理由をつけて話すだけであろう。それを言わせて何の意味があるのだろうか。政治家の不適切な言動(国会での嘘の証言や政治資金収支報告書への不正がばれてからの記載など)はすべて検察が法的に事実を検証するだけでよい。当の本人の理由付けや嘘、詭弁を言わせる機会が重要なはずもない。責任逃れをさせて、罪をなくさせるデメリットはあるが、メリットはない。