産経新聞に「無症状や軽症の感染者が検査前に水面下で感染を広げ、職場や大学、外国人コミュニティーなどの多様なクラスターを生み出している可能性がある。専門家は市中感染の蔓延(まんえん)期に差し掛かっているとみており、接触機会の削減を求めている」との記事があった。

 敵は新型コロナウイルスではなく、Go To利用をやめない一部の国民と経済優先で人の交流を加速化させる自民党政権であろう。この2つをどうやって退治するかが、今後長期的に安定した生活を送られる国を作るためのカギとなる。

 ワクチンができたと騒いでいるが、安全性や有効性(効果や有効期間など)が本当にわかるまでには数年かかるといわれている。さらに、新型コロナウイルスは次々と変異しそれが流行を繰り返している。できたワクチンが役に立つか不明だ。

 東日本大震災が起きた時、経済優先ではなく、新しい姿の国を作ろうという発想が生まれた。すぐに消え去った案だったが、例えば北欧やブータンなどは、日本のように科学も工業も発達していないが、みな幸せに暮らしている。ノルウェーなどは福祉も充実していて、老後の不安もないと聞く。日本では、人々が死ぬくらい働き、命や健康より経済を優先させられ、政治は不正と詭弁と汚い金にあふれている。そんな社会で生きていく一般下層市民たちが幸せなど感じられるはずもない。

 今回のウイルスは進化しており、人類の英知の先を行っていると思うが、まだまだ序の口なのかもしれない。人類がまったく手の出ない致死率の高いウイルスが現れないとも限らない(人類が遺伝子を操作したり新薬を作ったりと、いろいろいじくりまわすから)。日本も経済優先の社会から、価値観の異なるゆったりとした社会、科学や機械化ではなく自然の食物や安全な肉類の生産、医学、疫学、社会福祉などに英知を使って精神的に高度化した文明作りに転換していってほしいと思う。

 もちろん、今そうなるわけもない。変換するチャンスがあるとすれば、大災害が起きて国全体が決定的打撃を受けた時であろう。東日本大震災の時でさえ、哲学者など様々な分野の学者が招集されて発想は出されたが、実行に移すほどの被害ではなかった。今回の感染拡大も、今の被害では人々の目を覚ます威力にはなっていない。核兵器が使われることは無く、人類が滅ぶとしたらウイルスが原因だろうという学者もいる。今回の新型ウイルスの終着点、そしてその後の世界はどうなっていくのだろう。経済が無限に発展し続けるということは考えにくく、限界が来るはずだ。その時社会や人々の生活、健康や命はどうなっているのだろうか。もしかしたら、経済発展の限界点の先に、社会変革のまじめな議論が待っているのかもしれない。