中曽根元総理の合同葬儀について文科省が国立大学などに弔意の表明を要望する通知を出したことで、加藤官房長官は「強制ではない」という認識を示した(実際は、これは後付けの詭弁で、文科省から要請されたら教育委員会は守らざるをえない。立場を利用した強制である)。

 加藤氏の、あの時強制とは言っていない、絶対とは言っていないといって逃げる手法がとても怖い。すべての発言について、あとからいくらでも責任逃れできる方便だ。

 新型コロナの流行が始まった頃、37度5分以上の熱などが出てもすぐに病院に行ったり保健所に連絡せず、〇日間は家で様子をみるようにとの彼の発言によって、多くの人が重症化して苦しみ命を落とし有名人達も亡くなった。その後、あれは強制ではなく基準だったと発言し、日本国中がずっこけたというか、怒りにあふれたことが思い出された(本当は後付けの詭弁で、大勢がいっきに病院に行ったら病院はすぐに崩壊し、感染が拡大するから、準備や対応が遅れていた政府はできるだけ国民を病院に行かせたくなかった。だから、家でしばらく様子を見るように発言したのは間違いでもなく基準でもなかったであろう)。

 加藤氏の「必ず」とか「絶対に」という言葉がつかない発言は嘘かもしれないという前提で聞くことは、会話のやり取りとして不自然であり、不便である。そのような言葉をつけなくても、普通に話した言葉は裁判でも採用されるし、後で違うことがわかれば国会では虚偽発言になる。「あの時、絶対とは言ってないよ~」などと言ってもそんなことは社会通念上通用しない。このようなことを後から言うなど小学生の口げんかレベルであり、これを認めたら会話が成立しなくなる。

 記者会見において、彼がどや顔でこの詭弁を言う姿は二度と見たくないものだ。三度目がないことを祈りたい。すぐに病院に行けず家で我慢をして重症化してしまった志村けん氏や岡江久美子氏も浮かばれないだろう。