大阪なおみ選手が、テニスの全米オープンで優勝した。彼女は精神的に弱い。これまでは負けだしたら立ち直ることはできず、そのまま試合に負けてきた。しかし、今回は違った。個人的には、黒人差別を批判するという別の目標に意識を向けることで、プレッシャーや弱い心が前面に出なかったと推察する。意図的に利用したとは思わないが、このキャンペーンをやることで彼女は優勝を手にできたと思う。もちろん、個人的な意見であり、それが事実かどうかは誰にもわからないことだろう。
大阪なおみ選手は、警察官に射殺された黒人たちの名前が入ったマスクをつけて出場していた。警察官が射殺した時の様子がテレビで紹介されていた。例えば止まれといっても止まらずに自分の車の中に身を入れ何かとろうとしたので後ろから撃った例があった。自分が警官の立場だったら、車の中に拳銃がありその抵抗している人が自分のことを撃つために拳銃を取ろうとしているかもしれないと誰でもがその場で判断するのではないだろうか。実際、拳銃が車の中にあったら、自分が撃たれて死んでいる状況である。相手が黒人であろうと白人であろうと、そのような行動をとられたら身の危険を感じるのは当然であろう。
もう一つの例として、12歳の少年が銃を振り回したり周囲に銃口を向けたりしているとの通報があり、現場に行った警察官が手を上げるように指示したが従わなかった。そして銃がある腰に手を伸ばしたので撃ったという。その拳銃がおもちゃかどうか警察官が確認する時間はなかった。当然、警官は不起訴となった。なぜ警察官の指示に従わず危険な行為に出たのだろうか。その子の名前も大阪なおみ氏選手のマスクの中にあった。
私は、この二つの例に限って言えば、なぜ警官が悪いのか、なぜその相手が黒人だったからと言って黒人差別とつなげるのか、よくわからない。それは論理が無茶だと思う。あえて言うなら、このような例ばかり聞くと、なぜ黒人は警察官の言うことに対して抵抗するのか、そのあとなぜ拳銃を取ったり取ろうと疑わせたりする行為に出るのか不思議に感じられる。黒人であろうと白人であろうと自殺行為ではないか。
黒人差別を批判するなら、誰の目にも明らかに黒人差別である事例を挙げて訴えた方が意味がある。そうしないと、黒人差別批判が行われるのは他に目的があるのかと疑われたり、逆に黒人に対して悪い印象を与えてしまうことにもなりかねない。それから、訴える手段もよく考えた方がよいと思う。私のように、国際的なスポーツの試合に自分の信念を持ち込んで主張することに疑問を持つ人もいるだろう。
自分と異なることを批判したりバカにしたりすることは、子どもの世界でも日常的にあることだ。人から差別意識をなくすることなんて、本当にできるのかとさえ思えてくる。もちろん、結果はどうあれ無くなることを目指して努力をしなければいけない。しかしやる以上は、建前の言い方や一時的な感情を身につけさせるやり方ではなく、学術的な立場から真の効果が期待できるような方法(どのような差別教育が本当に効果的なのかなど)をよく検討して実践した方がよいだろう。