よく年配の女性教員が、「〇〇先生は国語の大家だ」とか「算数の大家だ」などと言うのを耳にすることがある。「大家」の意味を辞書で調べると「技芸、学術、芸術などの分野で、特にすぐれ、認められている人」とある。

 どこの大学教授かと思ってよくよく聞いてみると、その地域で少し名が知れた、知り合いの教員であることがほとんどだ。

 院生や講師、准教授、教授たちによって毎年教科に関する査読付き論文が発表されている。教育系の大学の図書館や学会誌などで読むことができる。町の教員達は、その中の1つでも読んだことがあるだろうか。もちろん、論文を発表したくらいで大家とは言えない。論文を審査するレフェリークラスでようやく大家のはしくれとなり、本当の大家と言えるのは、そのレフェリーも終わった学会の会長クラスであろう。

 たいした知識も経験もない者が、大海を知らずして軽々しく「あの人は大家だ」などと評価してはいけない。経験上、女性教員は年を重ねるにつれてほとんどの人が傲慢になっていく。年配の男性教員は、逆に謙虚になっていく。「実るほど、首を垂れる稲穂かな」ということだろう。このブログでずっと書いてきたことであるが、初任から5年が過ぎた女性教員は、謙虚さを忘れずに自己向上に努めた方がよい。自己満足はいけない。傲慢な態度をとり続けているのは実っていない証拠である。