岩手県盛岡市で新型コロナウイルスの感染者第1号が出た。その人に対する誹謗中傷がネット上に投稿されているという。中には、感染者の名前や住所を探ろうとする投稿もあるらしい。岩手県知事は、中傷やデマについて厳しく対処すると話している。

 ところで、誹謗中傷とはどういう意味だろうか。辞書を見ると「根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること」とある。そうであれば、誹謗中傷はよく無いことであり、それについては誰も異論がないだろう。

 さて、盛岡市の感染者であるが、彼に対するネット上の投稿は、確かに誹謗中傷、つまり根拠のない悪口もあり、これらについては制限されるべきであろう。しかし、根拠のある非難も多く含まれる。ちなみに「非難」を辞書で調べると「相手のミスや欠点などを責めること」とある。誹謗中傷と非難は別物である。この2つを一緒くたにして論じることは不適切なことであろう。意図的な論理のすり替えにも使われかねない。

 ニュースや情報番組を見ると、ネット上の投稿や勤務先への投稿やメールは、感染者が多い関東のキャンプ場に行って3密を作っていたことに触れられているか、それを根拠とした意見が多かった。また、感染者3人目(濃厚接触者)に対する批判的な意見はネット上にはあまり見られないという。つまり、盛岡市の感染者に対する意見は、感染するまでの無謀な行動に対する非難であり、根拠のない誹謗中傷ではないものが多いといえる。感染したことに対する誹謗中傷ではなく、根拠のある非難である。したがって、ネット上で否定的な意見を述べている投稿すべてを指して、「感染することは悪いことではない」とか「誰もが感染するから、誹謗中傷はよくない」というのは、適切ではなく正確でもない。

 欧米では、自分勝手な行動をする人は、感染を拡大させるということで法的に身柄を確保されたりする場合もあった。非難を受ける程度で終わるのではなく、公権力によって身柄を拘束されたのである。それはいけないことでもないし、差別や偏見でもないだろう。身勝手な行動、感染の確率が高い行動、日常生活で注意するべきこと(3密を避けるなど)を破る行動は、法律があるなら法的に良く無いことであるし、法律がなくても道義的に不特定多数の他人にとっても社会にとってもよくないことである。

 誹謗中傷の他にも、感染者の名前や住所を調べたりネットに上げたりすることは意味がないし(誰のプラスにもならないし)、やりすぎで悪いことだと思う。そのようなことをやる人は非難に値する。しかし、感染者の行動はよくなかったとネットで非難することは、今後新しい生活様式を定着させたり、感染者自身や同じようなことをやっている人々に反省を促したり、社会規範を作っていくためにも必要だと私は思う。「無条件に感染者はみんな悪くない」という考えには賛成できない。法によって行動を規制することとも矛盾が生じてしまう。日々頑張って3密を防ぐことを守り、映画や飲み会なども我慢し、自粛を頑張っているほとんどの国民の努力を無駄にしてはいけない。

 今回の事例においては、誹謗中傷(根拠のない悪口)や住所探しのような限度を越えた内容の投稿はいけないが、根拠のある非難は大勢の人の健康や命を守ったり社会活動を守るためにも必要なことである。すべてのことは、実は単純な構造ではない。ネット上の投稿を批判する人は、きちんと整理して正確にアナウンスしたり要請したりすることが求められる。感覚的、短絡的な「なんでもあり」はいけないだろう。