アメリカで、黒人が警官に首を強く抑えられて死亡した。報道やデモでの主張はこの部分だけであり、死亡した黒人が何をしたから警官に止められ、どのように警官に対応したから、そのようにされたという部分については、ほとんど言われることはない。禁句なのかもしれない。

 日本でも、クルド人に対して警官が首のあたりを羽交い絞め(強さは不明)にしたり足の部分を蹴ったりしたと、警官に対する非難やデモが一部で起こっている。このクルド人は、歯医者に行くために警官の静止を無視して車を急発進したという。怪しいと思われても仕方がない。人種云々の話ではないだろう。当然、日常やっているように警官は追いかけて車を止めたらしいが、その後のクルド人は警官に対して非常に抵抗し、その結果の警官の行動であった。

 無条件で警官は強く対応してはいけないというわけではない。極端な例を挙げると、万引き犯を追いかけている時に犯人が拳銃を取りだして警官に向けてきたら、警官は自分の身を守るために拳銃で威嚇をしたり犯人を撃ったりするだろう。警官の行動は、当事者の対応によって異なる。当たり前のことだ。その部分を無視して、「たかが万引きで、警官が拳銃を撃った」とゆがめて批判をしたり差別だといって仲間を増やして騒いだりすることは適切ではないし、他意や悪意さえ感じられる。

 ちなみに、このクルド人の事件が起きたあと、あっという間に警官に対する人種差別非難デモの許可願いが申請されたという。クルド人ではなく同じようなことを日本人がやっても、その行動がひどいものなら警官は強い対応を取る。しかし、一方的な論理で、関係のない人種差別と結び付け、しかもデモまですばやくやろうという。怪しいにも程がある。あるいは、悪意はないが勘違いをしている人が目立とう精神で動いているだけなのかもしれない。

 このような事故(事件?)もアメリカで起きた。警官が集団で街中を歩いて移動している時、その前に立ちふさがるように1人の男性が出てきて進路を妨害した。警官がその男性の肩あたりを押したら、男性は後ろに何歩も歩いて転び、病院に運ばれたという。これについてトランプ大統領は、押された以上に大きく転んで不自然だ、この人物は一般の人ではなかった旨をツイッターにあげ、作為的だった可能性を指摘していた。

 不自然であったり、悪いことであったり、怪しいことであったりするような何かをやり、その後の行動で激しく警官に抵抗したりすれば、当然のごとくそれに見合った結果が生じる。結果だけ突然発生するということは、まずないことである。本当に何もしていないただの一般人を、突然警官がたたいたり押さえつけたというのであれば、現在行われているデモや警官への非難も理解できる。

 自分たちの都合のいいように論理をゆがめながら「人種差別」を口にすると、なんでも通せる、世界中が味方してくれるという気持ちで動いているのではないことを願う。

 もちろん、警官といえども行き過ぎた行為は許されない。デモ隊や非難をする人達が口にしない部分、つまり結果をもたらした原因を裁判では全て詳細に明らかにし、それに照らして警官の行動が適切であったかを正当に判断されることを望む。その部分を無視し、黒人だからという理由だけで「警官が悪い」という判決がでたとしたら、それは逆差別となる。

 最後に一言。このような荒々しいデモや一方的な強い非難、略奪や市中のある物の破壊などをすると、人種差別についてなんとも思っていなかった人々(人種差別の意識がなかった人)の心の奥に、黒人は怒って怖い、怒らせたら何をするかわからない、付き合わない方が無難だ、と刻まれてしまうこともわかっていてもらいたい。私は、世の中からあらゆる不当な差別(人種差別や女性差別、そしてそれらの逆差別など)がなくなればよいと思っている。それは形式的にではなく、人間の心から本当になくなってほしいと願っている。そのためには、デモなんかで怒りを爆発させて見せたり、原因部分を隠して偏った作為的な主張をしたりしていては、かえってマイナスになる。同じ結果を求めるにしても「方法」が非常に重要である。