プロレスラーの木村花氏が、SNS上で誹謗中傷を受け、自殺した。

 学校で、友達から「馬鹿!」と言われ、「うるさい」と言い返して終わる人もいれば、悩んで自殺をする人もいる。芸能人の中には、「消えろ」「死ね」と言われても気にしない人やおかしくなって笑っている人、もっと書いてという人もいれば、死にはしないが死にたいと思う人もいるだろう。

 学校でいじめをうけて自殺する中高生がいる。自殺して初めて社会が大問題と判断してくれる。自殺しなければ学校にも軽く扱われ、自分だけが苦しみ不登校か中退ということになる。

「死(自殺)」によって、ある現象(事実)についての善悪の程度が決定される状況は良く無い。現象は1つであり、すでに決まってあるものなのだから。

 誹謗中傷と言っても、人によって嫌だと感じる言葉や嫌だと思う程度は異なる。これを言ったら誹謗中傷にあたるという具体的な言葉をすべて決めることになるのだろうか。そうなったとしても、使う場面にもよるだろうし、問題がいろいろありそうだ。

 人の心そのものをよくしていくという考え方もあるだろうが、仮に小学校で道徳心を育てる時間を増やしたとしても、今以上時間をかけるのは無駄になる感じがする。人間も動物である。他者への攻撃(誹謗中傷等)は、動物として自分は何をしてでも(子孫を残すために)生き抜くという本能の一つの表れなのかもしれない。野生動物は縄張り争いもするしえさの取り合いもする。共食いをする場合もある。本質的には野生動物の姿が同じ動物である人間の本来の姿であるはずだ。心の底、というか本能の部分で他人を押しのけてでも自分だけは生き残りたいと思う気持ちを消すことができるのだろうか。学校でいくら多くの時間をかけて道徳心を育てようとしても、子どもも大人も戦争映画や人を殺す戦争ゲームが大好きだ。本質は変えられない。小学校では最低限の指導や教育しかできないので、学校に過大な期待をするのは不適切だ

 根本的な解決策が思いつかない。これが人間としての限界というか、仕方のない自然な姿なのだろう。何らかの対処療法でごまかしながらやっていくしかない。