森法務大臣が安倍総理に進退伺を出したが留意を受けて続投することになったという茶番劇が行われた。安倍氏は「検察の損なわれた信頼を回復するために引き続き職務に当たってもらいたい」と述べたという。
安倍氏による責任の取り方というのは、自分自身のことも含め、「引き続き職務にあたる」ということである。そのまま職務にあたることが、なぜ責任を取ることになるのだろうか。
思いだしたが、安倍氏は「説明責任」という言葉もよく使う。これを果たせば許されるという考えだ。しかし何を言おうと事実は変わらなく厳然とあるわけで、説明しようとしまいとそんなことは関係なく、事実や状況証拠によって処罰するべきであろう。詭弁や嘘を用いて他人をごまかせる上手な言いわけを作成できればおとがめなしとは、これいかに。
安倍氏流の責任の取り方というのは3つあり、1つはそのまま仕事を続けること、もう1つはうまい言いわけを作って堂々と話すこと(説明責任)、そして「ごめんなさい」ということである。
最後の「ごめんなさい」は謝罪であり、「だから責任はこのように取ります」というのが次にこなければおかしい。謝罪と責任を取ることは違うことである。むしろ、謝罪をしておいて責任を取らないこと、バツを受けないことは、人をからかっているようにしか感じられない。100回続けて謝罪してから、たくさん悪いことをするようなものである。実際、安倍氏はこれまでに不適切なことを100回以上言ったりやったりし、100回以上「国民に対してお詫びを申し上げます」「申し訳ございません」と言ってきていると思う。1度も責任を取らないから、永遠と続く。
安倍総理大臣の信念や考え方、方策、社会常識は独得である。長期政権が彼をあそこまで変えたのだろう。彼は「政治の安定」の名のもとに政治を独裁化し、おかしな言いわけや無責任な行動を国民に見せ続けることで虚無感をもたせて骨抜きにし、社会の秩序や規範を弱体化させた。そして悪い手本を長年見てきた国民の中にも独裁的で偽善的で身勝手な人が増え、法やきまりを守らず、堂々とした自分勝手な言動が以前より目立つようになった。安倍氏がすべての原因とは思わないが、社長や学級担任のようにリーダーが与える影響は少なくない。
まずは国のリーダーの浄化から始める必要があると思う。