障害者施設で19人が殺された事件で、犯人に死刑が言い渡された。当然の判決であろう。判決を受け、様々な人のインタビューが流されていた。もちろん、犯人に同情的な発言は無かった。無かったといえば不正確なのかもしれない。放送では見られなかったというのが正確だろうか。どのインタビューを放送するかは、放送局の意図による。
インタビューをうけたパラリンピック選手は、私たち障害者はいらないといわれるのは残念だし怒りを覚える旨のことを話していた。誰も言わないと思うので犯人の名誉のために一応事実確認をしておくと、彼はパラリンピックに出るような人達や多くの障害者について、いなくなってもいいとは思っていない。彼が一貫して主張しているのは、「意思疎通ができない障害者」はいなくなってもいいということだ。最後まで彼はこの主張を崩さなかった(この点において私も彼には責任能力があったと思っている)。たとえ極悪犯であろうと、事実をゆがめた作り話によって彼の名誉を傷つけることは認められない。死刑を言い渡された人であろうと、死ぬまで人権は存在する。
皆(マスコミや遺族たち、意思疎通ができる障害者たち、国民など)が結論ありきの感情的な言動は控え、議論をするならあらゆる視点から問題を検討し、法と正義によって彼が正当にあつかわれることを望みたい。
裁判官は判決理由の中で、行為は到底是認できないが実体験を踏まえた発想として了解可能であることを繰り返し述べている。法に照らせば是認はできないが実体験を踏まえると彼の発想は了解はできるということであれば、彼は法に照らして裁かれるとして、実体や社会の在り方に問題があることをみんなが確認し、国民みんなで議論を行っていくことも大切ではないだろうか。根本的原因から目をそらしていたら、また同じような事件が起きるかもしれない。