中居正広氏が、ジャニーズの元社長の骨のかけらを小瓶に入れて持ち歩いていた。中居氏の異様な性格を感じた。骨を持ち歩く人など他にいない。身内ですらいないだろう。元社長は、自分の骨を誰かに持っていてもらいたいと思うだろうか。そのような行為は、亡くなった人に対する冒とくである。しかも中居氏は、骨が入った小瓶をあまり大事に扱っていなかったし、思い入れも感じられなかった(社長が力をくれると思って持っているというような自己中のことを話していた)。遺骨は自分のお守りなどではない。中居氏らしいが、元社長が気の毒だ。早く身内かお寺に返した方がよい。
中居氏というと、かつて4人組グループのスピードが再結成して中居氏の番組にゲスト出演した時、復帰した理由を聞いたあと、中居氏は目をむき吐き捨てるように「金のためだろう」という言葉を彼女らに浴びせていたことが頭から離れない。冗談のような雰囲気は全くなく、彼女らも困惑していた。彼だからできる行動だ。それでいて、明石家さんま氏やタモリ氏など人気者で力のある人には異常な程こびへつらう。彼は露骨に損得で動く。
彼の記者会見を見て、ある大学教授は、この完璧なやり取りを大学のコミュニケーションの授業で扱うべきだと話していた。コメンテーター達は、中居氏は会見でいろいろなことに気を使って話していてすごいとほめたたえていた。詳しく反論する気力もないので一言でいうと、まじめで誠実な会見をする能力や性格を持ち合わせていないからバラエティみたいにやっているだけだし、気遣いも誰でもが言う最低限のレベルであった。
中居氏の言動は、日本の社会全体に迷惑をかけているわけではないので強く非難されるようなものではないが、大学教授やコメンテーターは許されない。聞いたことがない名前の大学がとても増え、それに伴って偽物の博士や大学教授でいっぱいになっている。確かに、能力がなくて論文を書けない研究者はテレビに出て俗っぽくてわくわくするような感想を言うことでしか有名になる方法はないのかもしれない。しかし物事には限度というものがある。質が落ちるにも程があろう。