今朝もテレビで、中国の街の様子を撮影したビデオが放送されていた。武漢からの人を数人で押さえつけたり、マスクをしないで街を歩いている人を捕まえたりしていた。
これはひどいことなのだろうか。一番重要なのは、相手が何をしたからそうされているのかということだ。これを見た人々は、何もしていない人がこうされているという前提で見ることが多い。一種の錯覚だろう。このようなことは日常よくある。
例えば、銀座の歩行者天国で包丁を振り回している人がいたら、みんなで押さえつけたり、あるいは警官が来て射殺したりするだろう。この人は、何もしていないのに、押さえつけられたり殺されたりするのではない。
原因があって、結果がある。原因を無視し、結果だけを見て誤った批判(私は意図的な悪口と思っているが)をすることは日常的にある。いや、むしろ批判のほとんどがそうであるといっても過言ではないかもしれない。授業中、立って悪ふざけをする子どもの肩に手を置いて座らせようとしただけで、子どもは「体罰だ」とからかうように叫ぶ時代である。親たちも、子どもが何をやったかなどは全く問題ではなく(問題にしたくない)、教師が子どもの肩に触ったことを「体罰だ」と騒ぎ立て、大騒ぎが好きなマスコミに連絡する。世の中、これでいいのかなあと思うのである。ちなみに、このような子どもに育てたのは、親とマスコミ情報である。