武漢からのチャーター便で帰国した人々が、受け入れ先で「テレビがない」と不満を言ったり、「こっそり逃げ出すぞ」と脅しのように凄んだり、部屋に対し「こんな狭いところに閉じ込めるな」「人権無視か」などの怒鳴り声もあったという。これによって、担当者が受け入れ施設で飛び降り自殺をした。
だから私はこの「人権」という言葉が大嫌いなのだ。「人権」というのは、相手が自殺するまで自己中をぶつけてもよい自由ではない。何をやってもよい自由ではない。人権なんて、法やマナー、思いやりなどの道徳のはるか下にあるものだ。そんな声高に叫ぶようなものではない。今回もこの言葉によって、どれほど世界中の広範囲にウィルスを広めたことか。感染してまで、自己中の人々の自由をかなえてあげることは間違っている。
この言葉は、私の記憶が確かであれば、国と個人との関係において生まれた言葉だと思った。国が個人を弾圧したりすることを防ぐために使われたものだと思っていた。その関係においては、この言葉を使用してよいと思うが、自己中の人が好き勝手にやりたい時に利用する都合の良い便利な言葉として使ってはいけない。
やくざみたいな自己中な行動をとるのは、チャーター便で戻ってきた人々のごく一部だけだと信じたいが、その一部の人々が、何とかしてあげようと必死に対応に当たっていたまじめな若者を自殺に追い込んだということは、戻ってきた人全員に知っておいてもらいたい。ストレスとかを理由に自由を主張しているのかもしれないが、牢屋でもあるまいしストレスなんて理由にはならない。武漢であれば日本のような縛りはなくマスクをして自由に外に出られると思うので(縛りがないから広がったのであるが)、その方がよければ武漢に戻ればよい(武漢市が閉鎖されて実際には戻れないが)。無理に連れてきたわけではない。言いたいことがあるならば、亡くなった若者を生き返らせてから聞こうではないか。間接的に殺人を実行したのは誰なのかしっかりと心に刻み、十字架を背負って残りの人生を生きていけばよい。怒りがわいてくる。どんな困難や災害にあっても、冷静に道徳心を貫くのが日本人だと思っていたが、日本人もここまで言うようになったのかと悲しくなった。3.11のような大災害が起きた時、このような人々が避難所にいたらどうなるか想像してもらいたい。
政府と国民(税金を使わせている)は、可能な範囲で努力をしているのである。政府も初めての対応だし、協力してくれる人の問題もある。最初から素早く帰国者の満足のいく対応など取れないだろう。必要不可欠な要求が何かあったら、担当者に冷静に伝えればよい話だ。それでも無理なものは無理かもしれないが。
とにかく、あなた方のために泊まり込みで頑張り続けたこの職員の命を返してもらいたい。「ごめんなさい」では、すまされない。