「言論の自由」、「表現の自由」の名のもとに、例えば差別用語で相手を徹底的に痛めつけたり、不正確な歴史に基づく教科書やモニュメントを作ったりすることが正しいと思う人は、世界のどこにもいないだろう(精神的途上国を除いて)。

「言論の自由」、「表現の自由」というのは、無条件で何を言っても、何を表現してもよいということではない。「言論の自由」や「表現の自由」というのは、歴史上、言論や表現を統制されたことがあるので、封じられてはいけないというところからスタートしたのではないのだろうか。市民が長年努力をして獲得した権利なのであろう。それを、都合のいいように拡大解釈して、この自由を貶める行為は適切ではない。

 正確性、客観性、公平性、公共性などを無視して、歪んだ他の目的のためにこの自由をさけぶなど、ただの悪人である。