障害者が普通に生活をしている場面を見て、感動して涙を流す芸能人たちがいる。障害者を差別するのはやめてほしい。健常者も障害者も、自分ができる範囲で頑張って生活するのは当たり前のことだ。障害者が頑張ると、なんで感動するのだろうか。それは、障害者を見下したり、障害があってかわいそうと思っているからである。そういう芸能人の姿をテレビで全国に流すから、多くの国民があわれみの目で障害者を見るようになるのである。障害者を軽んじる映像を流すのは、即刻やめてもらいたい。
話は少しずれるが、差別が生まれる原因の1つとして、「寝た子を起こす」ということがある。「寝た子」(黙っている静かな子)には、①事実を知って黙っている、②事実を知らないから黙っている、という2つの意味が考えられるが、私は、前者では理屈ではなく感情的にどうしても差別が生まれるから、後者が大切であるというスタンスである。例えば、以前はアメリカで黒人を差別していたが、アメリカではその歴史を学校で教えて二度と起きないようにしよう教育している。アメリカのテレビでもそのように報道しているだろう。黒人差別はだめだと・・・。しかし、そのようにやっていると、黒人のことを何とも思っていなかったアメリカの子ども達は、「黒人は差別されていたんだ。そういう存在なんだ」「気をつかうなあ。なんか嫌だなあ。」「何かあったら大変だ。近寄らないのが安全かな。」などと思うようになるのは自然のことだろう。口では、「ひどい。差別をしないようにしよう」とは言うだろうが。
黒人であろうと白人であろうと、背が低い子であろうと、誰であろうと、みんなで仲良くしようということが最終目的なのだから、過去の具体例をあえて学校で教える必要はなく、道徳や宗教教育として心を育てていくことが重要であろう。どこの国でもあった戦時中の残酷な行為を学校で詳細に説明して、「だからもうやめよう」と教育しても、恨みや憎しみも植え付けてしまうことと同じである。
日本人は、アメリカにおける黒人が受けたひどい過去を学んではいないので、日本人は黒人を見てもなんとも思わない。身構えることもないし、変な気を使うこともない。不良っぽい若者でも特に暴言を吐くなどの差別をしないだろう。しかし、アメリカでは過去の黒人差別について授業で教えているので、黒人差別が未だになくなることはない。
日本でいうと、部落差別やハンセン病患者などに対する偏見が今でも少し残るのは、過去の歴史について、少し教育をしたり、時々マスコミで取り上げているからである。学校やマスコミで、大々的に「過去はこうだった。だからもうやめよう」などとやったら、部落出身者やハンセン病の人に対する差別はものすごいことになるだろう。差別を露骨にしない人でも、心の中で「怖い、気をつけなければ」と身構えるはずだ。そして、心の奥底で差別をしている自分がいることに気付くであろう。
このような考え方に対して、「寝た子を起こすな!は許されない」「きちんと過去の歴史を教育しろ」という反論があるのも知っている。これに対して私が見たり経験したりしてきた事実に基づく反駁もあるが、ここではやめておく。あとは、これを読んだ方々の判断に任せたい。