中学校でいじめが起きると、学校が悪い!という。校長や教育委員会が謝罪する。どうも腑に落ちない。一義的な責任は、いじめた生徒とそのような子どもを作った親にある。しかし、いじめが起きる場所としては学校であり、そこにいた教員達や学校の責任にしようということなのだろう。

 いじめが起きた場合、全ての責任を学校に負わせるのであれば、相応の権限を教師に持たせてもらいたい。多くの場合、いじめは指導方法によって改善されるだろうが、地域性(在日など)や家族環境(新興宗教など)によって、絶対にいじめをやめない子ども、狂気的な行動をやめない子どももいるのである。テレビで取り上げられたり公になっていないだけである。昔の話であるが、外国でオオカミが育てた少女がいて、保護された後に牧師などが何とか人間らしくしようと7,8年教育したが、多少変わった程度でオオカミのような行動が多く見られたまま亡くなったことがある。教育によってどうにでもできると思ったら大間違いである。

 ドラマの「金八先生」や「ごくせん」などの不良たちは、非常に良い子どもたちの部類に入る。あのようなドラマを見て、国民や多くの教育委員、校長たちは、「どんなに荒れている子どもでも、どんなに異常な子どもでも普通の子どものようになるのに、適切な指導をしない教師が悪い」と言って、担任を悪者のように批判する。

 マスコミや家でのほほんと暮らしている保護者達、狭い経験しかない教育委員会の指導主事たちは、まだ本当の地獄を見たことがない。ある同和地区にある小学校、首切りなどの奇怪な犯罪が多発する地域の小学校、後者1階のほとんどの窓ガラスが割られたりする小学校(新聞にも載らなかったが)、その他言えないような地域の学校などに勤務したことがない人達が、ドラマを見て感動し、実際の担任達を批判して「俺は教育の専門家だ」と悦に入っている。まさに「無知は恥」である。

 出発点は、「いろいろな子どもがいる」という認識である。そこから、教師としてできる最大限のことをやっていくしかない。「すべての子どもはよくなる、子どもが悪いことをしたら教師が悪い」という認識をスタート地点にすると的確な指導はできず、子どもや子どもの環境をさらに悪くする結果にしてしまう場合がでてくる。