前回の朝ドラもそうであったが,今回の「あさが来た」も,最後に人が亡くなるストーリーで視聴者を泣かせるといういつものパターンで終わった。人が死ぬ場面は,素晴らしいシーンでも感動的なシーンでもない。ただ悲しくさみしい思いが残る場面だ。しかし視聴者は自らの悲しい涙を錯覚して感動の涙だったと誤解する。
誰かの死によって物語の質を高めたり感動的にしようというテレビ局の姑息な意図は認められるものではない。死の場面を持ってくることは,もっとも簡単に「素晴らしい場面だった」,「素晴らしい作品だった」,「感動的なドラマだった」と視聴者に思わせることができる安易で卑怯な手段である。
NHKの朝ドラは,最後に「死」をもってくればいいやという,手抜きの構成はもうやめてもらいたい。誰かの「死」を利用しないで,視聴者に「よかった」と思わせたり,本当の感動の涙を流させるような構成を作り上げてほしい。