タイのリゾート地で,日本人男性が集団で全裸になって騒いだことについて,この集団の会社の社長が「申し訳ございませんでした」と謝罪した。

 なでしこの宮間選手や監督も,「責任はすべて自分にある,申し訳ございませんでした」と謝罪した。

 食品産地偽装をした社長たちも,いつも「申し訳ありませんでした」と言う。

 

 しかし, 「申し訳ございませんでした。〇〇します」「責任はすべて自分にあります。だから〇〇します」などのように言わないと,責任を取ったことにならないであろう。もちろん,〇〇にはいる部分は,原状回復,あるいはそれ相応の内容とならなければいけない。「申し訳ございませんでした」という数文字の言葉を口から発することが謝罪とはならない。辞めることが責任を取ることにもならない。そんなことは,影響を受けた人にとって何にもならない。どうでもよいことだ。

 タイの例だったら,タイに行って関係者の言うとおりの謝罪をし,世界の人が抱いた日本のイメージが回復されるまで社長がそのための行動を取り続ける。なでしこの場合だったら,社会がよく学校にやらせるようないじめアンケートを取っていじめのような行為をした人物に責任を取るよう指示をし,人間関係を完全に回復させて辞めていくなどのように,責任を取るとは,出来る限り元に戻すということだ(過去のなでしこの試合を勝ちとするなどはできないのでそれは免除せざるを得ない)。

 笑い話であるが,ある先生が教育委員会に出す書類の字を間違えた時,「大きな字で,ごめんなさいってプロッキーで書いた始末書を添付すれば大丈夫だろう」などと話していたことがあった。このような冗談が,世間では真剣に行われている。「ごめんなさい」と口で言うだけでは,それはジョークというものだ。役職を去っても起きたことはそのままで,それも無責任すぎるだろう。もし責任をとれないなら,軽々しく「私の責任です」と言ってはいけない(とぼけろという意味ではなく,他の人にたのんでとってもらうしかないのだから。そのための上司や自治体などの管理者でもある)。