大阪の高校生が教師から体罰を受けて自殺をした裁判で,家族の訴えが認められた。高校生はバスケットボール部のキャプテンで,自分ばかりしばき回されるのを理不尽と感じていたという。

 なぜこの教師は,自殺した高校生をキャプテンにしたのか,高校生は考えなかったのだろうか。確かに暴言を言ったりたたいたりしたと思うが,高校生はその理由を考えたことがあっただろうか。キャプテン(自分)ばかりが叩かれて嫌だったら,キャプテンをやめればよかった。この高校生は,楽をしたかったのだろうか。練習が嫌いだったのだろうか。たった一人でも死に物狂いで練習をし,自分一人でも県代表のチームに入れるよう努力をすればよかったのじゃないのか。なぜなら彼は恵まれたことに,そのような環境にいたじゃないか。高校生は,紙いっぱいに教師への恨みつらみの手紙を書いて自殺した。裁判後の両親の記者会見での話し方や内容をニュースで見て,私の経験上,この両親が育てたなら,このような子どもになるだろうなと思った。

 私は数十年前,PTA会長の子どもを受け持ったことがあった。会長は,「うちの子が悪いことをしたり怠けたりしたら,どんどん叩いて叱ってやってください」とまだ若かった私に深々と頭を下げて話した。もちろん,そのような謙虚で総合的な判断ができる立派な親の子は,叩くどころか口での注意さえ全くいらないような,穏やかで思いやりがあり何事にも一生懸命で,そして何よりも素直でどんどん伸びていく子どもだった。親と子どもは同じくなるものだ。

 高校生が自殺をしたことは残念だが,そのように育てたのは両親だ。これまで,この教師に感謝をしている子どももたくさんいたであろうし,叩かれた子どもでもうれしかったと感じた子どももいたであろう。私自身,若い時に何度も叩いた子どもとお別れする時,「先生にもっと叩いてほしかった」ととてもよい笑顔で言われたことがあった。その子は今,ある場所の行政の長をやっている。厳しく指導をしてもらったことをどう感じ,そしてがんばるのか死ぬのかは,やはりその子の親の教育次第であろう。子どもは命を失い,この教師は学校から去った。大事なものが二つ消えた。原因は親だ。学校や教師に文句を言っている暇があったら,もっと謙虚になって自分を磨け!目指す方向がわからなければ,百戦錬磨の学校や教師に聞けばよい。最前線で実際に日々教育に当たっているは教師だ。勘違いモンスターでもテレビのキャスターやコメンテーターでも新聞記者でもない。