日本語は,様々な言い方があり,それによって豊かに,そして微妙な違いを表現できる言語であ る。外国語にあるような悪口に相当する言葉も少ないと言われている。
しかし,不便だなあと感じることもある。例えば「ひじの上」といった場合,ひじの真上(つまりひじの部分の皮膚)なのか,ひじの少し肩寄りなのか,ひじの少し内側寄りなのかがわからない。また,食べ物を食べておいしい時,それを表す言葉があまり無いために,豊かにかつ微妙に表現することができない。だから多くの人は何を食べても,おいしいと感じた時には異口同音に「おいしい」としか言えない。この時ばかりは,日本語は何と簡素で原始的な言語だろうと感じざるを得ない。もうひとつ決定的なこととして,2つの意味にとれる場合があり,どちらかがわからないこともある。例えば,「今年は,まだ見たことが無い富士山と華厳の滝に行ってみたい」という時,「まだ見たことが無い」という部分は「富士山」だけにかかるのか,「華厳の滝」までかかるのかということがある。それによって意味は違ってくる。書く側としても,どちらの場合でも先のように書くだろう。
日本語が今のようになったのがいつの頃かわからないが,つくった人々がもう少し豊かに,そして文脈の意味をもっと分かりやすくしてくれていたならば,日本語はもっと素晴らしい言語になっていたと思う。