最近,教師が子どもをたたいたというニュースが目立つ。情報番組の司会者やコメンテーターたちは,自分には学校教育の経験や見識があって自分はこんなに優れているんだと言わんばかりに,教師をぼろくそに攻撃しながら自己満足にひたっている。

仲間を得たり集団内にいる時の子どもは別人になったりする。その様子を,親やマスコミ連中は知らない。教育でできないことはないと思っている人は,まだ地獄を見たことがない人だ。それに生まれつきの環境で,初めから話が通じずにどうにもできないこともある。例えば,両親が特殊な新興宗教をやっていて生まれた時から子どもも信者だという場合もある。その子に宗教を忘れさせ学校でまったく別の概念や考え方,道徳を教え込むことはできない。また,地域によっては外国の人がたくさんいて治安も悪い所がある。父親は暴力団だ。母親はふっとんでいる。その子どもも危険だ。教師がそのような子どもたちのおこないを力を使って止め,教えることで,その子から他の子どもを守り,その子自身も変えていけるとしても,怪我をしない程度にたたくことはダメだというのか。軽く撫でる程度から怪我をする程度まで、「たたく」と言っても様々な程度がある。どの「たたく」も全部だめだというのか。わかりやすく言えば、相撲の張り手や緊急時に起こすためにほっぺたを「たたく」ことは暴力などではないということだ。短絡的な話ではない。要はたたく理由や程度(強さ)の問題である。「たたく」=「けがをする」でもなければ、「たたく」=「子供の心を傷つける」でもない。

戦前や戦時中の小学校はとても厳しかった。悪いことをしたら先生にたたかれるのは当たり前だった。家でも親からたたかれながらおこられた。「学校で悪さをするな,友達や先生に迷惑をかけるな」と。だからおかしな事件も少なく,高度成長を支えて行けるような頑張り屋でまじめな人々に育ったのである。それに、当時の教師のことを怖かったとは思うだろうが、憎んでいる人はほとんどいないだろう。むしろそのような教育を受けたほとんどの人が、教師に感謝しているのではないだろうか。

海外における学校での教師による体罰には、様々な認識や法律がある。文科省も、海外の状況を調べ研究し、体罰の定義をもっと広範囲な視点から検討し、具体化・厳格化したりあるいは法律を変えたりする必要があるだろう。

数十年前,祖父母や両親(ともに小学校教師)に甘やかされて育ち,学校で暴力ばかりふるう子どもを受け持ったことがあった。毎日友達のおなかを笑いながら思い切りたたき教室から飛び出していった。勉強ができたし,悪さをした時に教師が注意するようなことは全部自分で分かってる子どもだった。甘えて育ったから我慢をすることができなくなっていた。当時4年生だったが1年生の頃からそうだったということだ。教師がたたくことが騒がれない時代だったので,カッターを振り回した時に私は本気で怒り,頭をたたきもした。優しく注意をしたら、彼は止まらなかったであろう。そういったことを繰り返しているうちに,彼はどんどん変わっていった。1年間が終わる3月,彼は「先生にもっと叩いてほしかった。どうもありがとうございます」と満面の笑みで話してきた。次の学年からは新任の女性に担任が変わったが,その子は暴力や悪さを一切しなくなった。6年の頃,彼は児童会長に立候補し,多くの子どもたちの信頼を得て選挙で会長となり活躍した。大人になり,今は多くの人々から信頼されないとなれない仕事に就いている。

親馬鹿たちの発想は,たたく→暴力→警察→マスコミ→ざまあみろ(学校や教師に対して),といったところだろう。自分たちの家庭教育が悪かったために自分の子供がそうなったことを認めたくないために、学校のせいにする。学校のことを悪く言い、そのような情報が大好きなマスコミが飛びつき、何も知らないコメンテーターやエセ教育評論家、司会者たちが教師や学校を非難することで、自分のことをえらく見せようとする。面倒くさいから、教師たちも、親やマスコミの要求通りにしてやる。そして学校の教育力は低下し、我慢ができない自分勝手な若者で社会があふれていく。親やマスコミは一体何を目指しているのだろうか。

悪いことをした時に教師からたたかれ、自分勝手な甘えを厳しくしかって抑えてくれたことを、子ども自身は冷静になった時に自分が悪かったことを理解し、心の底では教師に感謝する。人間なのだから。もちろんそれは、親とマスコミが子供のことをあおり洗脳しない(学校や教師の悪口を言わない)限りの話であるが。