国会中継を見ていると,安倍氏は自分なりの理由を述べて,自分がおこなったことをすべて正当化していた。「理由があれば正しい」とはならない。全ての行動には,それなりの理由があるからだ。泥棒にでも「ほしかった」という理由がある。大切なことは,その理由に適切性,客観性があるかどうかということになろう。文系の学術論文でもそうである。実験結果のような厳密なものはないが,それでも世界中の多くの人々が納得できるような内容でないと,査読付き論文に通らない。知識や経験が狭く,判断力がない(総合的に考えるのではなく,自分がひらめいたたった一つの理由を持って結論を出すこと)人は,意見を言わないほうがよい。しかし,そういう人に限って自分が絶対に正しいと思っており,人の言動が許せずに独裁者的な振る舞いを行う。手におえない。