「なぜ学問(学び習うこと。学校へ通ったり、先生についたり、本を読んだりして、新 しい知識を学習すること)をするのか」
東大紛争時,学生たちが破壊行為を行いながら教授たちに問いかけてきたという。なぜ自分たちが学問をするのか,二十歳近くの人間が他人に聞くことではない。疑問に思うくらいなら,大学を退学すればよいだろう。そうすれば,半年もたたないうちに青ざめ,何らかの答えが見つかるはずである。一方,問われた教授たちも「我々は答えを持っていなかった」と反省していた。なんと愚かなやり取りであろうか。
「なぜ学問をするのか」については,例えば「賢くなるため」「与えられた環境で,よりよく生きるため」「自分が進む道を探すため」「自分が学びたいと思ったから」といった漠然とした答えから,道徳的(宗教的),生物学的,経済学的,社会学的立場からの答え,あるいはある1つの視点に立った個別の答えなど,どのようにでも答えをつくることができる。だから,これが正答だ!というものはない。おそらく無限に近い答え方がある。その中から,自分の都合に適合するもの,自己満足できるもの,自分を正当化できるものを適当に1つ選べばよいだけの話である。
東大紛争時,学生たちが破壊行為を行いながら教授たちに問いかけてきたという。なぜ自分たちが学問をするのか,二十歳近くの人間が他人に聞くことではない。疑問に思うくらいなら,大学を退学すればよいだろう。そうすれば,半年もたたないうちに青ざめ,何らかの答えが見つかるはずである。一方,問われた教授たちも「我々は答えを持っていなかった」と反省していた。なんと愚かなやり取りであろうか。
「なぜ学問をするのか」については,例えば「賢くなるため」「与えられた環境で,よりよく生きるため」「自分が進む道を探すため」「自分が学びたいと思ったから」といった漠然とした答えから,道徳的(宗教的),生物学的,経済学的,社会学的立場からの答え,あるいはある1つの視点に立った個別の答えなど,どのようにでも答えをつくることができる。だから,これが正答だ!というものはない。おそらく無限に近い答え方がある。その中から,自分の都合に適合するもの,自己満足できるもの,自分を正当化できるものを適当に1つ選べばよいだけの話である。